第28回 温故塾 ~ 二つの東照宮 ~
江戸時代、神君家康を祭祀した「東照宮」は全国に三百数十余社あった。今日でも百五社の東照宮が現存している。最初に建立されたのが、元和二年(1616)の久能山東照宮で、もっとも新しいのが明治九年(1876)、幕府倒壊後、静岡へ移住し、牧之原開墾に従事した徳川家臣団(中條景昭ら)が建てた社である。最も有名なのが日光東照宮。そしてその秘密とは?
今井塾長の持参した資料を見ることから始まった、温故塾。今までに訪れたことのある各地の東照宮の写真や図面の資料で、まずは家康死後最初に造営された、久能山の東照宮からスタートした。
東照宮は何故、久能山から日光に移されたのか?
その背景に、政治的な動きや謎多い川越喜多院縁の天海がからんでくる。2代将軍秀忠の思惑も踏まえた考察が興味深かった。
日光東照宮の大造替とその謎?
寛永大造替は、天海、家光、幕府首脳のそれぞれの思惑が一致したことから興された。寛永十一年(1634)十一月、造替に着手し、同十三年四月に完成という超スピードの工事だった。普請奉行は秋元但馬守泰朝、大工頭は甲良豊後守宗広。総費用は五十六万八千両、銀百貫目、米一千石を要した。動員した彫物大工、平大工、木引の延べ人数は七十七万九千八百六十三人におよんだ。
家光は一切の費用を幕府の御金蔵から出し、諸大名には一銭も出させず、寄付も許さなかった。一説に費用の金は駿府御遺金(家康の遺産)だったという。
久能山東照宮は、「大明神造」
東照宮本殿は、 「権現造」
歴史は面白い!
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sex tel (水曜日, 01 11月 2017 00:15)
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