旗本とは

●旗本退屈男の生活とは ?

 『旗本退屈男』(佐々木味津三原作)の主人公・早乙女主水之介は取り囲んだ悪人たちに向かって、こんなセリフを吐く。「無役ながらも直参旗本千三百石早乙女主水之介、天下御免の向こう傷、諸羽流工眼崩し、とくと受けてみよ」と。

 

 ここで「無役」と言っているから、かれは御役に就いていない「小普請」である。「直参」というのは将軍直属の家来という意味、また「旗本」は将軍直属の名称だから、このセリフはダブっていることになる。その上、面白いことに「千三百石」と早乙女家の収入までも御披露している。
 小普請とは、幕府機構の役職に就かない旗本や御家人のことで、石高によって所属が分けられていた。凡そ、三百石以上を「旗本」といい、以下を「御家人」といった。

 三千石以上の無役の高禄旗本を「寄合」といい、三百石以上から三千石未満の小普請を「小普請支配」という。将軍に〃御見得〃(式日に登城し挨拶する)できるのは、禄高三百石以上の旗本だけである。それ以下は御家人で、無役の者は「小普請組」に入れられて組頭の支配を受けた。(二百石級でも旗本扱いとなる者もいた)


 また、無役ではあっても「小普請金」の負担があった。これは幕府の公共工事の人足費用のことで、無役の旗本・御家人に課せられたものである。一年間の小普請金は、一千石は十両で、百石増しごとに一両を加算した。従って、早乙女家は千三百石だから年十三両を納めることになる。一年にたった十三両とは、千三百石の早乙女家には大した負担ではないと思えるが、じつは何処の旗本も台所事情は火の車で、小普請金の提出は決して小さな負担ではなかった。(時代により変更があり、享保の頃は百石に付き二両) 

 

 

旗本とは
旗本の生活はどのようなものだったのかを、小説の人物を例に引きながら説明しています。
温故塾10(旗本とは)20110621.PDF.pdf
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