温故塾(江戸町奉行と江戸の刑罰)

<町奉行の組織>

 町奉行の職は、寛永八年(1631)十月、北町奉行に加々爪民部少輔忠澄、南町奉行に堀部式部少輔直之が任命されたのが晴矢という。

 始めは南北町奉行であったが、元禄十四年頃には、北・中・南の三奉行がおかれ、町奉行も二人となり、事保四年(1719)には、元の南北の両町奉行になった。町奉行は江戸町内を管轄下においたが、大名・旗本の屋敷地や寺社の地域は管轄外であった。但し、寺社の門前町は町奉行の管轄に入つた。町奉行は一月交替で「月番」と「非番」があり、月番の町奉行所は門を開けて訴訟などを受け付け、非番の町奉行は門を閉じて、前月受け付けて未処理の訴訟を処理した。

 町奉行は江戸町内の刑事事件だけを扱ったのでなく、江戸町内の一般行政がその主なる職務であった。

<江戸の刑罰>

●遠島

流罪のこと。江戸ならば、大島・八丈島・三宅島・新島・神津島・御蔵島・利島の七島の内へ流刑。特赦によって「御赦免」もあった。

●重追放

立ち入つても住居してもならない土地。武蔵・相模・上野・下野・安房・上総・下総・常陸・山城・摂津・和泉・大和・肥前・東海道筋・木曽路筋・甲斐・駿河。

● 中追放

武蔵・山城・摂津・和泉・大和・肥前・東海道筋・下野。日光道中・甲斐・駿河。

●軽追放

江戸十里四方・京。大坂・東海道筋・日光・日光道中

●他に、江戸十里四方追放・江戸払い・所払い(現住所を移転)などがあった。

●敲(たたき)

博打や微罪の窃盗犯。軽刑は五十敲き・重刑は百敲き。牢屋敷の門外で仰向けにして敲く。付加刑として「入墨」がつく場合もある。